西畑大吾は「月」ではない話
西畑大吾は「月」ではない。
ふと、そんなことを思った。
最近の西畑くんは演技のお仕事が次々舞い込み(勝ち取り、と言った方が正しいかもしれない)話題に事欠かない活躍ぶりを見せている。
ここで最初の言葉に戻る。
西畑大吾は「月」ではない。
言葉を付け足すなら
西畑大吾はもう、「月」ではない。
彼は関西ジャニーズJrの「太陽」だ。
西畑くんは積極的にボケていくタイプでないと感じている。
それ以前に積極的に前に出るイメージがなかった。
どちらかと言うといじられたり、話をふられたりしてようやく輝きを見せるイメージだった。(決して貶してるつもりはない)
しかし、ジャニーズWESTのデビューにより、彼ら*1は誰かの力を待っているだけでは駄目になった。
自ら輝ける人も、人に輝きを与えられる人もいた。
もちろん、西畑くんも自ら輝く人になった。
(西畑くんは相乗効果を生み出すのが上手い人だと個人的に思っている)
ある2人が関西からいなくなった時、関西ジャニーズJrそのものに光を当てる「太陽」がいなくなった。
ツッコミという役割で個々に光を当てるのがうまい「太陽」もいなくなった。
私の中で向井くんと大西(流)くんは「星」タイプ。キラキラと己が輝くタイプ。
向井くんはボケで突っ込む特攻隊長だから「星」でいてほしいし、大西くんは年齢的にも自分が輝く方法を追求する「星」でいてほしい。
西畑くんも「星」の人間だと思っていた。
けど、彼がセンターポジションにつくことが多くなってから、彼は「太陽」になった。
まいジャニで出演者に話をふる姿、後輩を前に出している姿、そしてたくさんの単独お仕事を掴んで還元する姿。
その姿は「太陽」だ。
もちろん後輩を前に出す姿なら向井くんも大西くんも「太陽」だ。
しかし、「関西ジャニーズJr」そのものの「太陽」はやはり西畑くんだと感じる。
西畑くんが「関西ジャニーズJr」という肩書きを身につけ切り込んでいくことで彼のことが気になった人は必然的に関西Jrに触れることになる。
こうして、西畑くんが演技のお仕事を掴んでくることで関西ジャニーズJrに多くの光が当たる。
私が西畑くんを「関西ジャニーズJr」の「太陽」だというのはそういう理由です。
嬉しいことにテレビドラマや先輩の出る映画のお仕事が多い。
ドラマは誰でも見ることが出来るし、先輩出演の映画なら先輩のファンがつくことと考えられる。
舞台だけ、というのは少々厳しくなるが映画とドラマこのふたつをたくさん経験できるのは素晴らしいことだと思う。
ぜひ西畑くんにはこれからの関西ジャニーズJrを照らし、引っ張っていってほしい。
*1:ここでは西畑くん1人でなく彼らという表現にさせてください